よくぞいらっしゃいました、ごきげんよう。わたくしは秋組ライゼだ。わたくしは毎月相当な文字数の日誌を書いているが、個人的嗜好によるものだ。しかし今回わたくしは子ども部屋の片隅から突然現れた真のおもちゃのための映画『トイストーリー4』を知り、いてもたってもいられなくなったので、この日誌を書いて公開することにした。

!アテンション!
今回の日誌はネタバレへの配慮がありません。
『トイストーリー4』を観た方前提で書いてます。
あと本当に長いです。


今すぐ観に行かないあなたはただのおもちゃ

電子の水面の波乗りを得意とする旅人様方は既に「この日誌、逆噴射先生のパロディだな?」と察していることでしょう。これはわたくしの語彙の限界があるところを、書き出しだけでも逆噴射先生の圧倒的説得力文章の形を拝借する事で補おうという魂胆です。「アニメ映画で夏休みのキッズ向けのしかも続編…前作で有終の美を飾ったはずなのになぜ…?とりあえずファンとしてチェックしておくか」といった逃げ腰な姿勢で映画館へと足を運んだ、数週間前の己の旧石器時代さながらの発想にまずはトイストーリーを愛する人たちへの謝罪の意思を述べたいと思います。そもそも、わたくしと『トイストーリー』の出会いは、今からもう数十年前に初公開された『トイストーリー』へと遡ることとなります。ここで『トイストーリー』をご存じでない、内容を忘れてしまった旅人様へ簡単に以下に内容をまとめます。


『トイストーリー』
1995年公開。主人公はカウボーイ人形のおもちゃ・ウッディ。彼の小さくも輝く日常と世界は持ち主の少年・アンディの、子ども部屋から描かれる。アンディの一番のお気に入りであったはずが、巷で流行している宇宙飛行士を模した最新のおもちゃ・バズにお気に入りの座を脅かされる不安に駆られ、安穏としていた毎日が急につまらないものへと変貌してしまう。自身のつまらないいたずらのせいで人間達の目を盗んで部屋をはじめて飛び出し、危険が一杯の外の世界への大冒険へと導かれるウッディとバズ。ひょんなことからアンディの元を離れてしまったウッディとバズは、果たしてアンディの元へ帰り無事クリスマスを迎えられるのだろうか。

『トイストーリー2』
1999年公開。前作で親交を深め親友となったウッディとバズ。ひょんなことから自身の予想外のプレミア的価値に気付き、東洋の博物館への身売りが決まったウッディは、成長と共にいずれ訪れるアンディとの別れを思い、不安から逃げるように新たな仲間達と共に東洋の博物館へ渡ることを決意する。

『トイストーリー3』
2010年公開。アンディの大学への進学に伴い、アンディは手元に残しておいた少ないおもちゃたちを選別し近所の幼稚園へとを受け渡す。唯一アンディの手元に残ったウッディは、親友のバズをはじめとするおもちゃたちを救うべく単身幼稚園へと乗り込むが、ひょんなことからボニーという少女との触れ合いを経て、おもちゃの本分とは、そして心から相手を思うのであればおもちゃはどうあるべきか答えを得る。


以上が、『トイストーリ4』までの各作品あらすじです。『トイストーリー』は『3』で完結していた、というのが大体のファンたちの心情であり、その覆しようのない公式から提示された事実にわたくしは、『3』公開から数年間、今年2019年まで苦しむこととなりました。余りにも美しすぎる青空と、ウッディの決意と、その決意に後押しされたアンディの最後の台詞に、これ以上のラストシーンはありえなかったとわたくし自身も『4』を観るまで納得させられていました。とても苦しかったです。互いを思い合う二人が何故一緒の場所にいられないのか、という点にどうしても思考が傾いてしまい、ウッディの決意した『アンディが信じたウッディであり続けるために、アンディと別れる』という答えが本当に心の底から苦しく、納得できないのに、研ぎ澄まされた丁寧な脚本と細かく丹念な心情描写のおかげで「これ以上の最後はどこにもなかったんだ」と思うしかなかったのです。
『トイストーリー4』を今すぐ観に行かないあなたはただの腰抜け。これは、私から私へ送るエールです。この世界のどこかにいる私と同じ、トイストーリーを愛しトイストーリーを信じトイストーリーに苦しんだ全ての私へ、届いてほしい。トイストーリー4はいいぞ。



トイストーリー4、本当に良かった?

「そんな、たかが映画に苦しんだって、ライゼさん大げさだなぁ」御尤もです。わたくしもそう思います。ですので、わたくしと共に『4』を見ることに付き合ってくれたノバラさんへそのあたり、わたくしの狼狽具合をうかがって頂けたらと思います。『3』から続くトイストーリーの古傷に呻き、悩み、困惑し、眠れぬ夜を過ごしては「ねぇ…なんで…ウッディは…アンディと一緒に大学へ行かなかったの…?」と思い出しもがいては、周りを困らせておりました。本当に理解ができなかったのです。思い合ってるなら一緒にいればいい、それで誰もが自分自身すらも苦しんだとして、手に入れるべきものは掴んでけして離してはいけない。それができる人間はそれをしなければならない。わたくしはそう信じます。わたくしは、『3』以降トイストーリーのイラストやグッズの類が見えるとあの美しすぎるラストを思い出し、心臓が脈打ち鼓動が高鳴り息は途切れ言葉が覚束なくなってしまう…あの美しい青空のラストシーンに圧倒されてわたくしだけ、『トイストーリー』の世界へずっと置き去りになってしまいました。ウッディとアンディは分かれ、新たな道をお互い選んだというのに当のわたくしは何も成長できなくなってしまったのです。ノバラさん、その節は色々とわたくしの怪文書を聞いてくれて本当にありがとね…。

さて、『トイストーリー4』、巷では賛否両論でした。
前作までの舞台だったアンディの子ども部屋を離れ、今作は新しい持ち主の少女であるボニーの子ども部屋で過ごすウッディでしたが、ボニーはアンディのようにウッディをお気に入りにはしてくれませんでした。そのことに後ろ向きに納得しているウッディは、ボニーがゴミから作り出したお気に入りのおもちゃ・フォーキーの世話役を買って出ます。ゴミから生み出されたフォーキーは隙あらば故郷であるゴミ箱へ身投げし、ゴミとしての本分を果たそうとします。おもちゃとしての自我を芽生えさせたいウッディは思い出話を語り、うっかりボニーではなく前の持ち主・アンディの名前を呼んだりなどして、観ている側へ『未だ過去に縛られている』ことを分かりやすく伝えてくれます。ボニーのお気に入りになれなくても納得できたのは、これは恐らくウッディもまたボニーへ後ろめたい感情があったのでしょう。ボニーを自分の持ち主だと、認めていないんです。自分の持ち主はアンディだけだったと誰よりも自分が、自分の内なる声に気付いているのでしょう。
ひょんなことからかつて永遠の別れを覚悟し離れ離れとなった陶器のおもちゃ、ボー・ピープとの奇跡の再会を分かち合い、そこでウッディは持ち主がいないまま暮らすおもちゃたちという『新たな世界』へ触れてゆきます。持ち主という概念がなく、自由気ままに、全て自己責任。おもちゃ同士で助け合い、人間に忠実でなければならないおもちゃの本分を、あえてしない生き方…。ウッディには想像もできない未知の世界に、困惑しつつも何かを感じ取る姿がラストまで描かれ続けます。
そして、今作の悪役(悪役と言い切るのに語弊があるなぁ)に分類される幼女を模したお
もちゃ・ギャビーギャビーの日の目を浴びない孤独に理解を示し『アンディの元で恵まれていた』『アンディ以上の持ち主はいない』『報われない存在を俺は無視したくない』という答えに行きつき、ウッディはボニーの元を選ばず外の世界の、持ち主のいない野良おもちゃの未来を選びます。

…このラストがファンたちの間で賛否両論に受け止められたのは、全く理解に難しくありません。シリーズを通して仲間との絆、アンディへの忠誠心、おもちゃの本分を守り通してきたおもちゃの最後は、責任をほっぽり忠誠心を再構築し、ちいさな子ども部屋を飛び出して行ってしまったのです。今回のラストを悲しむファンの方の感想で心に刺さった言葉があります。「私はウッディに置いてきぼりにされてしまった」。

子ども部屋を離れあなたのおそばへ

そう感じてしまうのも仕方ないかと思います。そして、わたくしはそんな感想に「違うんです」と言い続けられます。ウッディは、終始一貫『おもちゃの本分とは、持ち主の元を離れないこと』を信条としていました。しかし、持ち主に恵まれなかったおもちゃ・ギャビーギャビーとの会話の中で自分は周囲に愛されていた、と再認識します。報われないおもちゃたちを救い、持ち主の元へ送り出すための事業を立ち上げるウッディは、つまり、彼の行動に何の矛盾もないのです。
頑張ってるのに報われない、そんなさみしい思いや日々の連続に心がささくれ立って『誰も私を見てくれない』『誰も私に気付いてくれない』『自分なんかいてもいなくても一緒だ』『私はここにいるのに』と、勘違いしてしまいそうな自暴自棄の人の元へ「俺がついてるぜ」と言ってあげるために、ウッディは全てを捨てて何の保証もない新世界へ飛び込んだのです。ボニーの子ども部屋で安穏に暮らす道もあったのにその安穏とやらを選ばず、いつも果敢に挑戦し続けるウッディだったから、そしてそんなウッディをアンディが今も信じてくれているから、報われない思いの元へ颯爽と現れる概念となってわたくしのような置いてきぼりの人間を助けるために、迎えに来てくれた。そう感じずにいられない、そんな『トイストーリー4』という壮大なラストシーン。誰も置いてきぼりにしない、シリーズを通してウッディはいつだって、頑張る人たちへの味方をしてくれます。結局ウッディとは、最初からずっと「俺がついてるぜ」という言葉に違わぬ、おもちゃだったのです。


『4』の好きなシーンはラストの少し前。本心ではボニーの元を離れることを意識しつつも野良おもちゃのボー・ピープを背に、自分を迎えに来てくれた親友のバズへ「俺っ、……おれ……!」と言葉にならない思いに困惑する場面。自分が何をしたいのか、したいことを口にしてしまえばどうなるのか、様々な不安や責任感にどうしてもそれ以上の言葉を親友のバズにも打ち明けられないウッディに、バズは「彼女なら大丈夫」と答えます。その言葉を聞き、どこか虚ろに「……そうだな」と返事するウッディに更に「ボニーなら、大丈夫」と顔色を変えずバズはまっすぐウッディを見つめて答えます。内なる声に従え、と映画の序盤に語ったウッディの言葉に、バズは誰よりも早くウッディよりも先に答えを見ていました、ウッディの内なる声を聞き取ってたのはウッディの親友のバズだったのです。自分たちがついてるからボニーなら大丈夫、自分の信じたことを選んでほしい。ウッディは、バズの言葉に後押しされて長い時間を過ごしてきたおもちゃたちとの別れを選び、新世界へとまっすぐ駆け出していきます。仲間も相棒も親友も誰も連れて行かず、トレードマークだった保安官バッジも付けずに、ボイスボックスも持たぬまま、まっすぐまっすぐたった一人だけで、何も不安なんてないように。
外の世界へ留まったウッディが、バズたちを乗せ遠ざかっていく車に向かって「無限のかなたへ…」と微笑みながら呟き、ウッディのいる外の世界を車の中から見上げながら「さぁ、行くぞ」とどこか誇らしいような表情で、バズも送り出します。お互いにお互いの声は聞こえなくとも、過ごしてきた長い時間が互いの願いをシンクロさせるラストシーン。そして、空へとパンアップ…。
今まで、トイストーリーシリーズは抜けるような青空から始まり、青空で終わるという定石に従っていましたが『4』では夕闇たなびく紫色の切ない空模様、美しく広大な夜空で物語を終えます。
自分の人生を選んでね、と制作陣が語り掛けているように感じられてわたくしは、救われる思いで涙が溢れては止まらずようやく成仏したような、軽やかさを感じました。『3』公開から『4』を観るまでの間長く続いてしまった、わたくしの『誰かのために頑張り続けたウッディに最後だけでも自分のための未来を選んでほしかった』という絶望をわたくしも『4』を観たことで気付き、『4』のおかげで今度こそ昇華しました。もう、いいじゃないですか。頑張り続ける人が報われない話で消耗したくないじゃないですか。美しい『3』があっての『4』の賛否両論、そのくらい人生って複雑怪奇でどこでなにが起こって自分の世界がコペルニクス的にまるっと大回転しても何もおかしくないはずです。人生は長く続いてしまうのだから。どこかでごほうびがあったっていいじゃないですか、こんなに私たち頑張ってきたんだから。


無限のかなたへさぁいくぞ

『トイストーリー4』はつまり、自分の人生を選べなかった人への、救済と再生の物語です。ボニーに「大事にしてね」と託したウッディがボニーの手元にないと知ったら、アンディは悲しむことでしょう。けれど、それは宇宙的に観測すれば少しの誤差といった感じです。アンディ少年が大人へと成長していくのを誰も止められないように、ウッディの成長を止められるものもこの世のどこにもないのです。『3』のラストでアンディは、ボニーへウッディを託す際に「
ウッディの1番素晴らしいところは、何があっても仲間を見捨てないところなんだ」と語りかけます。アンディの信じる自分でいたかったからこそ別れを選んだウッディにとって、矛盾はどこにもないとこの台詞で説明できます。報われない思いに打ちひしがれている人をウッディはほっとけない。だから、持ち主のいないおもちゃたちには持ち主を見つけ出す。野良おもちゃとして過ごしつつ自分の信じた思いを貫き続けるのでしょう、これからもずっと。アンディが信じた自分であり続けたいとウッディが願い続ける限り。報われない無限のかなたでウッディが「俺がついてるぜ!」と迎えに来てくれるなら、なんだかちょっと救われるような気持ちになります。そして、『4』のウッディの決意や行動や活躍をもしアンディが知ることになった時、そんな時はきっとないとも思いますが何が起こるか分からないのが人生なので……もしそんなことが起こったら、アンディはきっとウッディのこと、「やっぱり自分が信じたヒーローはずっとかっこよかった」と思ってくれるはずです。救いと救いが循環しあい信じた人の思いに応えられたら、そしてそれが「よくできました」と一言認めてもらえたら、もうそれって生まれてきた意味への答えとしても、いいってことにさせてください。



館内でお話しするには時間がどうしてもどうしても足りなく、また今日は夏の最後の日8月31日ということで『夏休み』という少年期の言葉に切なさや懐かしさを感じる中、感情の赴くままに感想長文を(これでも文章削りつつ)書いてみました。泣きながらこの日誌を書いています。いやぁ、映画っていいですね。おもちゃって、いいですね。感情に寄り添ってくれる誠実な文化について自分の気持ちを整理整頓させている時、生まれてきてよかったって心から思います。ありがとうトイストーリー3、ありがとうトイストーリー4、ありがとう、ウッディ・プライド……。

それでは、秋の気配を夜空に見つけながら、今日はおやすみなさいませ。